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大木正夫 交響曲第5番「ヒロシマ」:未解決の音楽

大木正夫:交響曲第5番大木正夫:交響曲第5番
(2006/03/01)
新日本フィルハーモニー交響楽団

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大木正夫 交響曲第5番「ヒロシマ」

「ヒロシマ」と副題が付けられているように、丸木位里と丸木俊の作『原爆の図』にインスピレーションを受けて作曲されたものである。
この巨大な連作絵画は、全14部(「長崎」も含め15部)に渡る大作で、巧みな人物描写とシュールレアリズムが合わさったような、非常に強い印象を与えるものだ。
大木正夫は原爆記録映画の音楽を担当したこともあり、原爆に関しては相当の知識があったようで、この絵は大木にとって格好の題材だった。
彼は「幽霊」、「火」、「水」、「虹」、「少年少女」、「原子砂漠(原子野)」を選び、そこに序奏と悲歌を付け、この交響曲が出来上がったのである。
邦人の作曲家による原爆音楽は多数あり、芥川也寸志の「ヒロシマのオルフェ」や細川俊夫の「ヒロシマ・レクイエム」、また武満徹の「死と再生」もそうだ。
邦人だけでなく、ペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」やルイジ・ノーノの「生命と愛の歌」など、海外の作曲家にとっても、原爆は大きなテーマなのだ。
この交響曲第5番「ヒロシマ」を取り上げたのは、この曲がいわゆる広島のためのレクイエムというだけでなく、もっと深いものを持った作品でありまた規模も大きく、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」という体制側と一悶着あった問題作に影響を与えたとか与えていないとか囁かれる、それだけの名曲であることが確かだからだ。

この曲の描写は恐ろしいほどよく出来ている。
僕は原爆を体験していないが、2度や7度の不協和音や、2~3度の狭い範囲を蠢くように動く半音階的な旋律、強烈なクラスター、弦楽器の特殊奏法、それらが表すのは、どれも悲痛なヒロシマの様子であることが身をもってわかる。この曲を練習していたオケのメンバーが気分を悪くして卒倒したというまことしやかな噂もあるくらいだ。
そう、この曲の最も重要な点、未来に残さねばならない最も大きな理由とは、この原爆の描写があまりに生々しく、仮想体験をしたかのように我々の感覚に訴えてくるということだ――『原爆の図』がそうであるように。
僕は今までで広島を2度訪れたことがあり、2度とも原爆資料館には足を運んでいるが、あのインパクトのある展示にやはり何かを考えさせられてしまう場所である。
そしてそこを訪れたときと同じような感覚を持つのが、やはりこういったインパクトの強い音楽なのだ。音楽にそういった力があるのは間違いないことだ。
「リアルな描写」の話に加えてここに書きたいのは、この曲の主要な音列としてベートーヴェンの「運命の動機」を模したものがあるということ。序奏にも現れるが、これが悲歌で強く扉を叩くように現れるのだ。
ベートーヴェンは第5番「運命」で葛藤を乗り越え、解決と人間の勝利に向かったのに対し、大木の第5番「ヒロシマ」は、偉大な先人が夢見た時代を意識させながら、人間の闇と恐怖を乗り越えることが出来ないで終わる。この終わりこそ、戦争そのものであることは言うまでも無い。
原爆の死者、戦争の死者の魂を鎮める音楽もある。しかしこの音楽は、人間はまだ原爆や戦争に勝利していないことを我々の感覚に刻みつける。
広島で原爆ドームを見れば、人は何かしら思うものだ。何を思うかはともかく、この曲が与えるものは大きいし、だからこそ未来に残すべき名曲なのだ。

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