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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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松平頼則 ダンス・サクレ、左舞、右舞、ダンス・フィナル:音楽の行き先

松平頼則:ピアノとオーケストラのための主題と変奏松平頼則:ピアノとオーケストラのための主題と変奏
(2003/07/01)
大阪センチュリー交響楽団

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松平頼則 ダンス・サクレ、左舞、右舞、ダンス・フィナル

まるで戦国時代のような名前だが、1907年に生まれ2001年に亡くなった、日本の作曲家である。
クラシック音楽界ではまあ需要の無い方の部類の作曲家ではあるけれども、人気不人気だけで音楽の良し悪しを決定してはいけない。
それに彼は、カラヤンがその作品を指揮した唯一の日本人である。
その時の作品は「ピアノとオーケストラのための主題と変奏(越天楽による)」だが、今回紹介するのは、それより一段と磨きのかかった作品である。
右舞は1957年、左舞は1958年、ダンス・サクレ(振鉾)とダンス・フィナル(長慶子)は1959年に作曲された雅楽を基にした作品で、それぞれ別個のものとして書かれているが、雅楽の作法に基づくと上のような順番になる。
彼がなぜ雅楽をモチーフとするに至ったかは、話すと非常に長いので別の機会にしよう。
雅楽の持つ非世俗性、抽象性、またその音楽技法が、彼の目指した前衛音楽と調和するところがあったとだけ言っておく。
そしてその前衛を洗練し突き詰めたものが、この作品群なのだ。
ピッコロや打楽器群、弦楽四重奏・合奏、ソプラノ・アルトサックスらが雅楽オリジナルの楽器の代わりをし、なんとも異様な雰囲気を持っている。

ところで皆さん、雅楽はお聴きになるだろうか。
僕は滅多に聴かないし、そのために神社に赴いたこともない。聴いてみたいとは思っているが。
この作品は雅楽をモチーフにしているが、雅楽を知らないからといって臆することはない。
背景知識を知ることが音楽の深い理解に繋がるというようなことをたまに書いたりあるいは他で読んだりするのだが、これはどうもそういうレベルの曲ではないようだ。
この曲からは確かに雅楽の香りがする。
舞人の入退場を表す音楽や、その音色・技法(例えば微分音、偶然性、雅楽特有の調性の使用)からは、雅楽らしさが感じられる。
だが、松平はそれらを単に西洋楽器を用いて再現しようとしたわけではない。
彼はあくまで、彼の中の「音楽」を突き詰めていっただけなのだ。
そのために必要な材料が「雅楽」であり、道具が前衛手法だっただけだ。
雅楽は一般的にあまり馴染みのあるものではないが、松平はその馴染みのなさ、つまり非大衆性、非愛国性に目を付けたのだ。
僕は雅楽そのものの芸術性や、日本の民俗音楽の芸術性も認めているし、それはそれで非常に深いものだ。
だが彼の芸術に対する姿勢を見れば、もう日本の音楽というのはどこまでも進んでいけるのではないかと思うほど、ただ感嘆するしかないのだ。
これが人を感動させるか、美しいかどうかは問題ではない。
芸術の、音楽の崇高さと、日本音楽の無限の可能性を提示している、非常に貴重な作品だろう。

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