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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番:ピアノコンチェルトの満足感

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲プロコフィエフ:ピアノ協奏曲
(1995/01/21)
ブロンフマン(イェフィム)

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プロコフィエフ ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16

ヴィレーンの音楽をプロコフィエフに似ていると言ったが、プロコフィエフのあっけらかんとした部分には確かに似ている。しかし、プロコフィエフはそのような擬古典的でモーツァルト的な趣きの音楽も残したが、もっともっとモダンで、一見するととっつきにくいような作品も残している。
今回紹介するのは、今年のラ・フォル・ジュルネでも取り上げられていた、ピアノ協奏曲第2番。この曲もなかなかのとっつきにくさだ。しかし、ラ・フォル・ジュルネで演奏が終わり、会場から出ようとしているときに他のお客さんの感想が漏れ聞こえたのだが、案外「よくわからないけど、結構面白かった」とか「意外とこういうの好き」というような感想があった。
そう、確かによくわからないような音楽だし、プロコフィエフにはマーチやロメジュリなど、面白くて非常に聴きやすい曲がたくさんある。それらとはまた別に面白さを感じるような作品なのである。
プロコフィエフは、左手のための協奏曲も含めて5曲のピアノ協奏曲を作っているが、第2番はというと、この中でもかなりとっつににくい曲だろう。1番は短い曲だし、3番は有名で聴きやすい。4番はあまりお目にかかれない左手の協奏曲。5番もなかなかマニアックではある。
2番の良いところは、とにかくピアノをがっつりと楽しめるという点だ。もちろん技巧的な面で息を呑むような凄みに感嘆するというのもあるし、また作曲者や演奏者の表現する感情の深さを楽しむというのもある。
なによりカデンツァが聞き所だ。一言で言えば「圧巻」。ピアニストとはこうも激しく感情を表現できるのか、と舌を巻く。

30分ほどの大作で、4楽章構成になっている。
とっつににくいと言っても、第1楽章のテーマはどことなくオリエンタルで、少しは親しみやすいかもしれない。そして即興のような長大なカデンツァ。
2楽章はスケルツォで、これぞプロコフィエフといった、やや皮肉めいた高速テンポの音楽。左右オクターブで進行するピアノもひたすら止まらずに動き続ける。
打楽器や管楽器を中心としたオーケストレーションの伴奏で重々しく始まる3楽章。ピアノはグリサンドで加わる。インテルメッツォということになっているが、これも律動的といえばそうだろう。タンバリンが入るが、これが意外と難しいところなので、打楽器ファンには聞き所のひとつ。
4楽章はフィナーレ、アレグロ・テンペストーソ。まさに嵐のごとく、2楽章以上に激しく動き回る。中間部は急に静的な音楽に。急にコーダに移ってびっくりするだろう。爆裂する音楽。最後の最後が一番格好良いもの。満足感は大きい。
ピアノをたっぷり聴いたという満足感、緊張や情感にひたされた満足感である。やや難解な音楽には違いないが、はじめて聴いた人でも、この感覚を得ることはできるはずだ。
この曲で表現されている感情は、負の方向のものだと思われる。この曲が作曲された当時は、ちょうどプロコフィエフの親友シュミットホフがピストル自殺した時期とも重なり、また彼に献じられている。直接的に彼に関わる音楽とは言えないものの、尋常ならざる感情はそこに所以すると見ても問題ないだろう。
ベクトルはマイナスかもしれないが、それ以上に、この曲の持つ感情のスカラーに着目したい。それはピアノでしか表現されなかったのであり、またピアノだけでは表現しえないものだったのだ。これぞピアノ協奏曲の存在意義だろう。満足感がひとしおなのも納得できるというものだ。

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| プロコフィエフ | 23:50 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」:ヒロインに惚れた

プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」
(2004/08/25)
マゼール(ロリン)

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プロコフィエフ バレエ音楽「ロメオとジュリエット」

最近は有名な曲を多く取り上げているこのブログだが、今回もまた耳覚えのある方が多い作品だろう。
ソフトバンクのCMでも使われたプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」は、バレエそのものよりも、演奏会で多く取り上げられる名曲だ。
その印象的な旋律が有名な「モンタギュー家とキャピュレット家」はCMでも使われる理由もよくわかるほど、クラシックの知識がなくとも、はたまたシェイクスピアの知識がなくとも、相当のインパクトを与える音楽だ。
そういった有名な曲もありよく演奏会で取り上げられるが、この取り上げられ方というのも注目すべき点である。
オーケストラ版では、バレエ全編を通した全曲版の他に、プロコフィエフ自身が編曲した組曲が第1番から第3番まで3つある。ピアノ版としては10曲の小品集もある。
様々なシーンが描かれているのだが、オーケストラの演奏会や録音では、それぞれの指揮者や楽団の意向に応じて、自由に曲が選ばれ演奏されるのだ。
アマチュアなら演奏者の得意不得意に合わせたような曲の選び方をする場合もあるし、時間の都合やカップリングの都合、ストーリーを重視したりオケの個性や指揮者の個性に合わせたりと、実に様々で面白い。
そういうことで、実演も多いので、どのような選び方をしているかにも注目すると楽しいだろう。

さて、シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」は、皆様ご存知のことでしょうが、最近はシェイクスピアを読む若者も少ないという話しを耳にした。
僕は英国好き(なにより英国のクラシック音楽好き)なので、シェイクスピアは好きな方ではある。
このロマンティックな愛の物語は、作曲家の創作意欲をどんどんかきたてるものだったようで、チャイコフスキーやベルリオーズなども名曲を残している。
プロコフィエフのこの作品にぐっと引き込まれたきっかけとなったのは、「モンタギュー家とキャピュレット家」ではなく、「少女ジュリエット」という曲だった。
この曲の表す少女の可愛らしさに、一目惚れしたのだろう、それは純粋にジュリエットに恋をするかのような感覚だ。
ディカプリオのロメオ、そしてクレア・デーンズの演じるジュリエットが頭にあった僕は、その映像と相まって、ジュリエットというヒロインへの思いを強くすることとなったのだ。
曲を好きになる理由なんて単純なものだし、それでいいんだと思っている。そして、ジュリエットを好きになってからである。この曲の様々な場面が色彩を帯び始めたのは。
ジュリエットは永遠にして唯一のヒロインと言ってもいいのかもしれない。彼女に惚れてから、「バルコニーの情景」、「ジュリエットの死」といった曲への特別の思いを抱くようになった。
「僕」はたまたまジュリエットだった。もちろん、ロメオに惚れるのだっていいだろう。個人的な感情をもって聴きたい音楽だ。

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| プロコフィエフ | 23:29 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番:麻薬的な協奏曲

プロコフィエフ&ラヴェル:ピアノ協奏曲プロコフィエフ&ラヴェル:ピアノ協奏曲
(2009/11/11)
アルゲリッチ(マルタ)アバド(クラウディオ)

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プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26

3曲あるプロコフィエフのピアノ協奏曲のうちで、最も人気のあるものがこの第3番である。
曲が始まってすぐ、まず雲の切れ間から光が差し込んでくるかのような前奏で一気に心惹かれてしまった。
この曲を得意とするピアニストのアルゲリッチも「まるで麻薬のよう」と語っているが、この曲は本当に、聴く者の脳内に怪しげな麻薬物質を分泌させ、そしてその中毒性の強さは並みの音楽ではありえない。それだけにプロコフィエフの音楽の中でも名曲と呼ぶに相応しい作品だ。
1921年にプロコフィエフ自身のピアノで初演した際はあまり良い評判ではなかったようだが、名指揮者クーセヴィツキーの指揮で翌年に演奏されたときは、大喝采を受け、それから今日まで人気を博し続けている。

上記のごとく印象的な1楽章の前奏が終わると、ヴァイオリンが快活なリズムを刻み、聴く者の体をどんどん運んでいく。
ピアノの登場は、ただの波だった映像に突如イカしたサーファーが現れたかのような感じがする、唐突でありかつ違和感のない登場の仕方で、実に巧みだ。
雰囲気を変えるように始まる第2主題は、打楽器も加わり、また違ったリズミカルさと、ふと顔を出す抒情性が憎い演出である。
2楽章は変奏曲形式で、様々なピアノとオーケストラの様々な表情が一度に味わえる、いわゆる緩徐楽章ではない、ちょっとお得な楽章だ。
この楽章だけを見ても、そして曲全体を見ても、拍動・律動がはっきり感じられる部分が多いのだが(それがこの曲の麻薬的な魅力の1つなのだが)、そういった中で2楽章の第4変奏はひと際異彩を放つ、精神的・瞑想的でありまたスロー・ジャズのインプロヴィゼーションによるジャムセッションのような空気感がある。これ単独ではあまり面白いものではないかもしれないが、この作品の中にあっては、非常に面白く意義深い場面だ。
絶えずシニカルで、どこか人を小馬鹿にしたような雰囲気が消えないのは、プロコフィエフの音楽の多くで見られる特徴だが、そういった雰囲気が感じられる3楽章のゆったり流れる弦楽と、その上を小走りで駆けるピアノの掛け合いも、聴いていて飽きない。最後にはオケとピアノは上手く手を取り合うのだが、そこがまた良いところだ。
この作品で幾度となく登場する、和音を強打するピアノが生み出すリズムに乗ると、まるでロックバンドのライブで、手を掲げ体をリズムに合わせて揺らしているような興奮がいつまでも続くのである。
麻薬的な音楽、というのは近現代に特に多いような気がするが、1度聴いてハマる人はハマるし、体が抵抗する人もいるかもしれない。
ハマってしまって2度、3度と聴けばもう話は早い。あとは廃人になるまでイケば良いのだ。
ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチ、そしてプロコフィエフの音楽は、そういった面が特に強いように思う。いわゆる「タコヲタ」なんて人たちの、ショスタコーヴィチに対する情熱は麻薬中毒と相似している。
ただ個人的には、プロコフィエフの方がいろんな意味で薬物のような臭いがすると思うのだが、どうだろう。もっと言えば、ショスタコーヴィチの音楽を薬物というのは、ちょっと憚られるし、ハチャトゥリアンの音楽よりプロコフィエフの音楽方が、人間をあざ笑うかのようなものが多いと思う。「いろんな意味」とはそういうことだ。
ピアノ協奏曲第3番に関して言えば、“良い意味”で麻薬的である。進んで中毒になってしかるべき、とでも言おうか。

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| プロコフィエフ | 10:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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プロコフィエフ 子供のための交響的物語「ピーターと狼」:子供向けでも意外にシュール

プロコフィエフ:ピーターと狼プロコフィエフ:ピーターと狼
(1996/10/21)
ニューヨーク・フィルハーモニックバーンスタイン(レナード)

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プロコフィエフ 子供のための交響的物語「ピーターと狼」作品67

プロコフィエフ自身が作った物語に音楽を付け、1936年、モスクワの児童劇場で初演された。
子どものための管弦楽作品としては、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」と並び、評価が高い。
わかりやすいストーリーとわかりやすい音楽で、子供の興味を引くようにできている。
少年ピーター(ロシアではペーチャ)が小鳥と一緒に狼を捕まえる、という話で、アヒルと遊んだり、アヒルと小鳥の喧嘩、それを狙う猫、勝手に野原で遊ぶピーターを諭すおじいさん、アヒルを襲う狼、狼を狙う狩人、小鳥とピーターが狼を捕まえる様子、狼を捕まえて意気揚々と行進する様子など、多くの場面が、それに即した音楽で表現される。
ピーター:弦楽 小鳥:フルート
アヒル:オーボエ 猫:クラリネット
おじいさん:ファゴット 狼:フレンチホルン
狩人の射撃:打楽器
と割り振られ、それぞれに固有のモチーフがあり、その場面合わせた変奏や音の重なりがある。

この作品は世界中で愛され、演劇を取り入れたり、アニメ化したりと、その表現も実に様々である。
それらもとても面白いのだが、忘れてはいけないのは、この曲はもともと視覚的に訴えるものではないということだ。
登場人物に短いながらも固有の主題を持たせていること、物語に沿ったそれらのオーケストレーションを子供たちに示していること。
そこにプロコフィエフの、音楽に対する思いを感じる。
音楽を聴くだけでも、「このアヒル、きっとドジなんだろうな」とか「この猫は絶対デブ猫だ!」などと、頭に思い浮かんでくるのだ。

僕のお気に入りは、やはりアヒルが狼に食べられてしまうところだ。
思わず「あっ!」と声が出るような迫真の音楽、そしてそのあとの狼のニヤリ顔まで浮かんでくる。
他にも、狼が大口開けて「バクッ!」っと小鳥を捕らえようとするところの合奏も印象的だ。
さらには曲の最後、狼の腹の中にいるアヒルの声なんかが出てくるというのは、実にシュール。
大人が聴いても十分楽しめるし、大人だからこそ楽しめるものも秘めている作品だ。
正直この交響的物語が子供向けの音楽教育として本当に良いものかどうかは別にして、プロコフィエフの卓越した音楽性のおかげで、これ程に愛される作品になったことは間違いない。

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| プロコフィエフ | 22:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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プロコフィエフ 交響曲第1番「古典」:悠久の娯楽

プロコフィエフ:交響曲1番/他プロコフィエフ:交響曲1番/他
(2003/03/26)
アバド(クラウディオ)オブラスツォワ(エレーナ)

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プロコフィエフ 交響曲第1番「古典」 ニ長調 作品25

ハイドンが現在に生きていたら、こんな曲を書いただろう、というプロコフィエフの交響曲第1番。
作曲にもピアノを用いず、机に向かって作る古典スタイルを貫いた。
プロコフィエフの「古典」は、「古典」であると同時に「現代」の要素に満ちている。

軽快・明確な旋律は古典的だが、プロコフィエフならではの意外な転調、拍子の切り替えが実に憎い。
1楽章のニ音から始まる果てしなく明るい響きは正にハイドンを思わせるが、さすがプロコフィエフ、期待を裏切らない転調に次ぐ転調。2楽章はまるで森の中、湖といった自然の情景が浮かぶような美しい旋律と、走り抜ける音の羅列が印象的。3楽章は宮廷音楽を思わせるガヴォット。4楽章では、断片的な「古典音楽」が現代のせわしない空間を疾走する。聴衆の間をくぐり抜け、駆け抜ける「古典」は一気に結ぶ。

ハイドンの時代のただひたすら明るく楽しい宮廷娯楽音楽は、モダニズムを加え、まるで我々をせせら笑うかのように聴こえる。
「ハイドンが現代にいたら…」というプロコフィエフの主題は、斬新かつ大胆な手法を取り入れることで見事に表現された。
宮廷音楽の「単純明快な娯楽性」という精神は、現代においても、美しさだけではなく、聴衆を驚かし楽しませる音楽という形で理解すべきなのであろう。

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| プロコフィエフ | 02:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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