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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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伊福部昭 交響頌偈「釈迦」:西洋音楽と仏教

伊福部昭の芸術(8)特別篇 卒寿を祝うバースデイ・コンサート 完全ライヴ伊福部昭の芸術(8)特別篇 卒寿を祝うバースデイ・コンサート 完全ライヴ
(2004/11/03)
本名徹次、東京混声合唱団 他

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伊福部昭 交響頌偈「釈迦」

かつて取り上げた伊福部昭の作品は、日本人の心に根付く祭の精神を表した「日本狂詩曲」と、特撮映画音楽を多く手がてた伊福部の映画音楽総集編とも言える「SF交響ファンタジー第1番」である。
「日本人の精神性」と「映画音楽」というのは、伊福部音楽のキーワードだと思うのだが、今回紹介するのは、仏教をテーマにした作品。
どちらかと言うと前者のキーワードに関連が深い作品ではあるが、この交響頌偈「釈迦」(こうきょうじゅげ「しゃか」と読む)は、もともと石井漠振付の舞踏作品「人間釈迦」の音楽として1953年に作られたもの。全三幕の舞踏作品であり、標題音楽の趣きもある。
世の中に「釈迦」を題材にした音楽がどれくらいあるのか僕は知らないが、少なくともクラシック音楽ではそうポピュラーなものではない。いわゆるミサ曲やレクイエムといった宗教曲はキリスト教のものだし、西洋音楽である以上、キリスト教とは切っても切れない関係にあるのが常である。
しかし、そこは日本人。キリスト教以上に多くの日本人にとって馴染みのある仏教を、音楽を通して表現しようというのは、伊福部にとってごく自然なことだったに違いない。
舞踏作品から音楽を抜き出し、オーケストラと混声四部合唱のための作品として完成させたのが、1989年。
3楽章構成で、1楽章「カピラバスツの悉達多」、2楽章「ブダガヤの降魔」、3楽章「頌偈」。頌偈とは、「佛の徳を讃える歌」ということだそうだ。
難しい言葉が並んでいるのだが、僕も別に仏教について精通している訳ではないので、まあ知識よりは気持ちの問題だということでごまかさせてもらいたい。

先日、すみだ区民音楽祭2012で、この曲が演奏された。編成も大きいので、そうそう実演に巡り合えるものではない(がもちろん、海外よりは日本にいれば聴く機会はある)。そしてその演奏がまた、入念にリハーサルを重ねた、本当に心打つ名演だと感じたから、今回この曲をブログで取り上げようとも思ったのだ。
僕は伊福部音楽を知り始めた頃から、この曲は知っていて、たまに聴いていたのだが、やはり実演を聴くとその曲への思いも強くなる。
テーマは重いが、釈迦の四苦の目覚めから悟りを開くまでという、案外シンプルでわかりやすく筋をなぞる音楽。1楽章では、王子として貧しさも飢えも苦しみも知らない暮らしをしていた釈迦が出家するまで、2楽章では、釈迦がブダガヤで悟りを得るために苦行する様子、3楽章は、悟りを開いた釈迦を讃える音楽。
2楽章から合唱が登場し、仏教の古典語「パーリ語」で、数多くの煩悩が歌われる。そんな煩悩の悪魔と戦う修行の様子は、この曲の見所のひとつだ。伊福部音楽らしい強いリズム、オスティナートで、襲い来る煩悩が表現される。
また、1楽章と3楽章で印象的なのは鐘の音。これは、キリスト教の教会の鐘の音とは決定的に違うものだ。楽器は西洋楽器であっても、この鐘は東洋の鐘である。
もし、この曲を聴いた人が仏教の造詣がある人ならば、きっと何かしら深遠なところへと魂なり思考なりを運ぶことができると思う。残念ながら僕はそうではないので、そういう話はできない。
しかし僕の思うに、こうした東洋の思想そのもの(決してこれは西欧のクラシック音楽でよく見られる東洋からの“影響”ではない)を、西洋楽器で表現しようとしたことについて見てみると、『クラシック音楽の普遍性』を非常に強く感じる。
「東洋の思想ならば東洋の楽器、東洋の音楽で表現するのが最高」という考えは野暮なのではないかと、そう思わせてくれる。方法論は異なるが、黛敏郎の「涅槃交響曲」だってそうだろう。
もっともこういったことは、仏教の懐が深いのと、西洋音楽の懐の深いのと、両方なのかもしれない。しかし、音楽や宗教の真理とはそういうものなのではないか。クライマックスの合唱と管弦楽の音の洪水には、心が震えること間違いない。

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| 伊福部昭 | 14:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊福部昭 SF交響ファンタジー第1番:人間のエネルギー

伊福部昭の芸術(8)特別篇 卒寿を祝うバースデイ・コンサート 完全ライヴ伊福部昭の芸術(8)特別篇 卒寿を祝うバースデイ・コンサート 完全ライヴ
(2004/11/03)
本名徹次、東京混声合唱団 他

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伊福部昭 SF交響ファンタジー第1番

伊福部は以前「日本狂詩曲」について記事を書いたが、この「SF交響ファンタジー」で再びの登場となる。
邦人作曲家が好きな僕にとって、伊福部はそのきっかけになったような重要な人物であり、さらに言えばこの曲は伊福部を好きになるきっかけのひとつでもあり、一層重要なのだ。
多くの映画音楽を残し、ことに特撮にかけては根強いファンが多い伊福部が、それらをこうしてまとめてステージ作品にしてくれたことに我々は感謝しようではないか。
現代では、映画の元ネタを知っている人にとってはノスタルジーであり、知らない人にとっても伊福部音楽らしさ、伊福部音楽の魅力を十二分に感じることのできる曲だろう。
「ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「宇宙大戦争」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「三大怪獣 地球最大の決戦」「怪獣総進撃」から編纂されたこの第1番は、冒頭のゴジラの動機が印象深い、15分ほどの管弦楽曲。
轟く低音、唸る金管、吼える打楽器……伊福部音楽の力が溢れだす。
本来なら一夜限りの演奏会(初演時)で終わりにして、自身の作品リストには加えないつもりだったらしいのだが、ファンからの強い要望で、度々演奏されることとなった。
そうやって愛され、今こうして伊福部音楽の代表的な名曲となったのだ。

本当ならここで、この音楽の最も印象的な部分である「ゴジラ」の話をしたいのだが、ここ最近の様々な社会的な理由を考慮して割愛することにした。
放射能を撒き散らし街を破壊する怪獣の話もアレな気がするのである。どうして「人間はゴジラの恐ろしさを忘れていたのだ」といった趣旨の話を大声でできようか。たとえ事実だとしても、僕は3月11日の怪獣によって命を落とした人の墓前で、また彼らと近しくまた親しかった人の前で、大声でそれを述べることはできない。
しかし、僕がこんな風に話すのを危惧するような理由などはまるでかすんでしまうほど、心に食らいつく伊福部音楽の芸術としての素晴らしさ、これは言うまでもない。
敢えて言えば、ゴジラは確かに“都会文明に対するアンチテーゼ”なのだろう。当然伊福部の音楽も、原初・土俗・自然の側の圧倒的なエネルギーがその本質をなすと言えるかもしれない。
最近は良くも悪くも、そういったエネルギーを体験する機会に恵まれ過ぎてしまったように思う。
そんなときに、そんなときだからこそ、いや、むしろそんな時だろうが何時だろうが、芸術は確固として芸術の領域から己を主張すべきなのかもしれない。
僕は芸術至上主義者かと言われると、まあ実はそんなような気もしなくはないのだが、この曲では「ネイティブなエネルギー」を感じるというより、そのエネルギーから伊福部が芸術として作り出したもの、「伊福部音楽のエネルギー」を感じることができる。
これが芸術、これこそ芸術なのだ。この音楽は人間のエネルギーにあふれていると主張しよう。

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| 伊福部昭 | 17:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊福部昭 日本狂詩曲:これぞ日本人のラプソディー

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伊福部昭 日本狂詩曲

このブログで初紹介となる邦人作曲家の曲は、『ゴジラ』の音楽でお馴染み、伊福部昭の「日本狂詩曲」である。
題名からして、いかにも日本の民族音楽、という印象で、1楽章の夜想曲、2楽章の祭り、約15分の管弦楽曲。
1935年、チェレプニン賞を受賞した伊福部氏のデビュー作であり、西洋音楽の形式で表現された強烈な日本らしさが、世界的に認められた曲である。
哀愁漂う旋律が静かに繰り返される夜想曲、それにうってかわって熱狂的な祭りの音楽という対比的な楽章だが、濃い民族性は共通だ。
伊福部氏は北海道出身であり、アイヌ民族音楽風も大いに影響している。
故に日本風であるのだけれど、どこか「北のくに」な雰囲気が否めない。
特に夜想曲において、少なくとも西日本にはない雰囲気である。
そしてそれが西洋楽器の音色と非常にマッチしている。

尚、この曲のスコアの表紙には、伊福部氏自身によるイラストが描いてある。
それが、ちょっと口ごもるのだが、なんとも言えずシュール。

ヴィオラのソロから始まり、もの悲しい夕方の終わりを思わせるような、夏の日暮れの冷たい空気の中にいるような、その調子で淡々と日本風の旋律が歌われる。
この哀愁は日本人ならきっと誰しもわかるはずの、「なんとなくやるせない」感じ。
しかし、この曲の1番の魅力は「祭り」、そして「祭り」の打楽器だろう。
総勢9名を要する打楽器群が力強い日本の民族的なリズムを叩き続ける。
曲を通して、弦楽器、ピアノ、ハープらも打楽器的な使われ方をされているし、伊福部氏自身「主役は打楽器で、旋律は副次的な物に過ぎない」と言ったくらいである。
ソロ・クラリネットの上に打楽器が和のリズムを奏で始めたら、大暴れする打楽器に、執拗なオスティネートで旋律が重なり、鳥の声、笛の音、と正にお祭り騒ぎである。
いかにも伊福部節全開であり、ファンにはたまらない。
だが、祭りの熱狂具合だけで言えば、これを上回る外国の民族音楽はたくさんある。
思うに、それが西洋楽器の限界なのだ、という点がひとつ。
そしてもう1つ、日本の祭りの熱狂が西洋の祭りの熱狂に負けているとは思わないが、「日本の祭り」の精神の奥底には、少なからず「祭りのあと」があるという点。
終わりがあるから騒ぐのだ、というと言い過ぎだが(その点美空ひばりの『お祭りマンボ』などは素晴らしい)、どうもこの2楽章からは、そういった哀愁が感じられる。
西洋楽器の持ち味を生かした、「日本人の精神に深く根付くもの」の音楽。
これこそラプソディーなのであり、伊福部昭の至高の芸術である。

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