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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」:天からの愛、地上の愛

マーラー:交響曲第8番《千人の交響曲》マーラー:交響曲第8番《千人の交響曲》
(2009/10/21)
シカゴ交響楽団 ショルティ(サー・ゲオルグ)ハーパー(ヘザー)

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マーラー 交響曲第8番 変ホ長調「千人の交響曲」

1910年の初演は、ミュンヘンの万博会場にある新祝祭音楽堂にて、マーラーの指揮で行われた。
オーケストラ146名、ソリスト8名、合唱団250名が2組、児童合唱350名の、合計1004人である。
その初演の際に興行主が付けた宣伝文句が「千人の交響曲」であり、マーラー自身はこの呼び方をあまり気に入っていなかったようだ。
しかし千人を超える演奏という、この音楽史的「珍事」は、マーラーの中では最も成功した初演ということになっている。そこにはこの曲が、マーラーの交響曲の中ではやはり異質なものであったということが関わっているようにも思える。
メンゲルベルクやワルター、クレンぺラー、R・シュトラウス、シェーンベルク、ウェーベルンらに加え、ストコフスキーやラフマニノフ、ヴォーン=ウィリアムズらの音楽家も初演に赴いた。
構成の大きさもさることながら、演奏時間も1時間半近くあり、とにかくスケールだけならほとんどの曲に劣らない交響曲であろう。
そのスケールの大きさは魅力であり、また同時にその演奏の困難さという弱みでもある。
とは言いつつも、この曲の人気は非常に高いので、音源も多いし、演奏機会も意外と多くある。
だが技術的に難しいことには変わらないので、完璧な名演というのは当然数少ない。外れくじも多いので、CDを購入する際は気をつけてほしい。
まあどの演奏がどうのこうのとケチを付けるのはこのブログの方針ではないので、そこは黙っておくとして、この曲の魅力を語ろうと思う。

第1部「来たれ、創造主なる聖霊よ」と第2部「ファウスト」より終景の二部構成である。
マーラーの交響曲第2番、3番、4番でもそうだが、この第8番も合唱が組み込まれている(歌詞はこちらへ)。
第1部はラテン語による聖霊降誕祭の讃歌が、第2部はドイツ語によるゲーテの「ファウスト」の最終場面が使われる。
冒頭はオルガン、低音楽器が重厚な響きを奏でると、すぐに「Veni, Veni, Creator Spiritus!(来たれ、創造主なる聖霊よ!)」と合唱が声高らかに響き渡る。
これが第1主題、始まりから聴衆の興奮度計は振りきれんばかりだ。
聴きどころのひとつ、第1ソプラノによる独唱は「Impre superna gratia…(いと高き処にある慈愛にて満たし給え…)」天からの愛を祈る、静かで敬虔な響きである。
そして展開部、まさに「我らが脆き肉体(Infirma nostri corporis)」を表すヴァイオリンやクラリネットのソロ、独唱が奏でられた後、一瞬の間をおいて合唱部隊が「Accende, accende lurnen sensibus(その光をもって我らの五感を高めたまえ)」と入ってくれば、再び興奮の渦に包まれる。
この「Accende…」の主題は、第1主題の面影を残した変形型とも言える音楽であり、また第2部でも用いられるものだ。僕はこの展開部が一番好きだ。
この主題にまた別の歌詞が当てられたり、別動隊が加わったりして、聖霊降誕祭は壮大に終わる。
第2部は大きく3つの部分に分けられる。ソリストにはそれぞれ役が振り分けられ、全体を通して「ファウスト」の浄化という思想が歌われる。
「Accende…」の主題がバス(瞑想の神父)の歌「Sind Liebesboten, sie verkünden,Was ewig schaffend uns umwallt.(なべて愛の使いなれば、我らを取り巻き、永遠に想像やめぬ力の所在を告知しているのだ)」に現れるところは、まさに天上の愛とファウストの魂の救済が繋がる部分だろう。
同様の主題が現れる児童合唱は天上で待ち受ける者の声である。ここも聴きどころだろう。
マリア、神父、天使たちが歌う第2部の「愛」は、「永遠に女性的なもの」という女性的な愛であり、天上へと召される魂の浄化である。
約1時間に渡るこの第2部は、オーケストラの壮大さに声楽の魅力、室内楽的な要素もありと、マーラーの良さ総決算と言ったところだ(しかし他の交響曲と比べて異質な感はいなめないが)。
全てが全て聴きどころと言ってもいいのだが、やはり最後の「神秘の合唱」が挙げられる。
地上から天上へと「Zieht uns hinan.(我々を高みへと引き上げる)」その様は、この壮大なスケールの曲に相応しいクライマックスだ。

地に愛を与える「聖霊」と、天へと導く「永遠に女性的なもの」。
それらを繋ぐ、すなわち第1部と第2部を繋ぐ「愛」を感じれば、神と文学が溶け込んだ音楽の素晴らしさに酔いしれるはずだ。
マーラーの、「宇宙を揺るがす」興奮と愛の音楽世界にどっぷりとひたる幸せは、何物にも代えがたい。

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マーラー 交響曲第1番「巨人」:クラシックの本質へ

マーラー : 交響曲第1番ニ長調 「巨人」マーラー : 交響曲第1番ニ長調 「巨人」
(1997/09/05)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

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マーラー 交響曲第1番ニ長調「巨人」

さて、マーラーについて書くのは、いささか面倒なことである。
というのは、このブログは、高度に専門的な、あるいは理論的な切り口で音楽を紹介するのを目指してはいないからだ。
それに僕は別に専門的に音楽を学んではいないので、そんなことを書いてもしょうがない訳だ。
ということで、マーラーやブルックナーは今まで避けてきたのだが、まあそろそろ解禁しても良いかな、と思い、「巨人」を取り上げることにする。
僕は個人的には「悲劇的」が好きだが、ひとまずこのブログでは1番から当たってみよう。

マーラーの交響曲の中で、最も演奏される機会が多いのがこの1番「巨人」である。
演奏時間は約50分と、マーラーにしては短い方だし、特に3楽章は有名な童謡の旋律がモチーフであり、全体的に「聴きやすい」。
ジャン・パウルの「巨人」という小説から標題を付けているが、マーラーは後にこれを破棄している。
あまり考えず、単純に絶対音楽として聴いても良いのではないかと思う。

1楽章の冒頭、フラジオに乗っかり徐々に展開する動機を聴いてしびれたなら、或いはふいに現れるピッツィカートに体が震えたら、もうそこはマーラーが提案する、クラシックの世界、交響曲の世界だ。スケルツォと童謡を味わった後、予定調和のソナタを、大迫力のオーケストラで楽しめば、一通り満足はいく。
マーラーの交響曲へのこだわりは、殊にオーケストレーションであると思われる。
改訂を繰り返したマーラーの作品へのこだわりを感じるには、最も良い音の「重なり」を感じることかもしれない。
さらに言えば、この曲からマーラーの持つ「若さ」や「悩み」、あるいは彼の音楽的なそれらの解放を見ることも楽しみの1つだ。

マーラーの作品、特に交響曲は、長大なものが多く、一般的に「口当たりの良い」クラシックではない。
しかし、クラシック音楽の世界に一旦浸かった者から見れば、彼の交響曲はあまりにも完成度が高く、実に名曲であることがわかる。
クラシックの世界の外から眺めたときの名曲は、交響曲においてはやはり「運命」であり、「第九」である。
しかし、こういった「ファン達の世界」に支えられて、クラシック音楽は受け継がれてきたのであり、その中でマーラーは非常に多くの名曲を残している。
一時の「マーラー・ブーム」が終わっても、「クラシック音楽」という一般世界とは異なるところで、マーラーは永遠に讃えられるし、この音楽飽和の時代、クラシックとはそういうものだ。

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