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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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エルガー 愛の挨拶:dolcissimoに……

愛の挨拶愛の挨拶
(2009/10/28)
新倉瞳

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エルガー 愛の挨拶 作品12

ロンドン五輪も終わり、英国ブームも落ち着いてきた頃かもしれないが、ここで英国クラシックを代表するようなエルガーの超有名曲を取り上げよう。
誰もが聞いたことのある旋律、この美しくロマンチックな旋律は、今までさんざん「英国の音楽の良さはその渋さ」などと語っていた僕が間違っているかのような、渋みも苦味もない、純粋な愛の美しさを湛えている。
1888年にキャロライン・アリス・ロバーツとの婚約記念に贈った曲で、単純に言えばラブレターである。どうりでロマンチックなわけだ。
こういう雰囲気の曲は小品に多く、その他の曲はもっとエルガーらしい渋さがある。別にエルガー自身が、こういう聴きやすい、大衆迎合的な音楽を嫌っていたということもないが、作曲家として売れないという時期が続いており、こうした小品が彼の交響曲や協奏曲、後期の室内楽作品などとは全く異なった色を見せるのも自然かもしれない。
売れるための曲ではないにせよ、エニグマで成功を収め、世界に名が知れ渡る10年ほど前のことである。
なにより、エルガーが世界的な作曲家となるには、ピアノの教え子であり恋人・妻であり、そしてこの曲のプレゼント相手である、キャロライン・アリス・ロバーツの多大なる協力が必要不可欠だったことも言っておきたい。そう、まさに運命なのだ。
ピアノ独奏版のほか、ピアノとヴァイオリン、管弦楽など、色々な編成がある。エルガー自身の編曲のほかに、演奏者の都合で様々にアレンジされて、愛奏されている。5分もない短い曲で、珠玉の名曲とはこのことである。

原題は出版社の都合でフランス語のSalut d'amour(愛の挨拶)になっているが、むしろその方が似合うようなサロン音楽的な香りもする。
しかし、そこはエルガー、ヴィクトリア趣味の気品もしっかりと備えているし、それでいて、家庭的な温もりも感じる。愛とはこれ然り多くのものを包含するのだ。
非常に多くの演奏があり、楽器も様々。王道を聴くならヴァイオリンとピアノだろうが、自分にぴったりあった演奏を見つけるのもまた楽しい。
僕が個人的にオススメするとしたら、男性ならチェロとピアノ版、女性ならヴァイオリンとピアノ版というのがいいかもしれないなあ、と思う。低音による旋律、高音による旋律は、それぞれ男性・女性の声で愛の歌を歌っているかのようだ。あまり声楽版は耳にすることがないからというのも理由だが。
もちろん、自分のお気に入りの楽器があればそれで聴くのもいい。大概は揃っているはずだ。自分の好きな管楽器とピアノ伴奏というのもまた美しいものだ。
多くの演奏は、とことんロマンチックに、コッテコテに演奏している。ルバートを利かせて、大げさな感情表現で、ちょっと臭いくらいがちょうどいい。
とはいえ、出だしの有名なメロディーなんか、楽譜を見ればヴァイオリンのダイナミクスはpだし、dolceとも書かれている。ピアノ伴奏はpppまで出てくるし、dolcissimoなんて指示もある。dolce(ドルチェ)は日本のレストランでも普通に目にするようになったが、この曲は基本、甘いデザートのような音楽なのだ。
それでも、そういうブリっ子みたいな音楽はちょっと嫌だという人もいるだろうし、愛の贈り物は人それぞれだろう。自分に一番フィットする演奏者を見つけられたら、またとない幸せだ。そうして、どっぷりと感情移入して聴く。愛と音楽と、なんと幸福な時間。

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| エルガー | 23:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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エルガー エニグマ変奏曲:謎……音楽はいかに生まれるか

「エニグマ」変奏曲(エルガー&ヴォーン=ウィリアムズ:管弦楽曲集)「エニグマ」変奏曲(エルガー&ヴォーン=ウィリアムズ:管弦楽曲集)
(2006/03/23)
バルビローリ(ジョン)

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エルガー エニグマ変奏曲 作品36

エニグマ(Enigma)とはギリシャ語で謎解き・謎なぞといった意味。正式にはこの曲は「独創主題による変奏曲」というのだが、出版に際しエニグマと付けられた。
管弦楽のための変奏曲だが、こういう形式の音楽は意外と少ない。以前このブログでも書いたが、有名なものとしてはブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」くらいなものだ。ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」もあるが、あれは半分ピアノ協奏曲みたいなものだ。
ここでは“音楽はいかに生まれるか”と題したが、作曲家が音楽を生み出す過程というのは、多くの人にはまったく未知の領域だろう。
エルガーなどとはレベルが段違いだが、僕も作曲をする。よく人に「どうしてメロディーが作れるの?」と聞かれることもある。
僕は大体、今まで自分が聴いてきた音楽が基になって、自分の中に染み込んだものが形を変えて出て来るというのがほとんどだが、天才と呼ばれる部類の作曲家は、モーツァルトのごとく、天から降ってくるようにメロディーがふと湧き出てくるのだろう。
この曲に関しても、主題が生まれたのはエルガーの天性による。エルガーがタバコをふかしながら何気なくピアノを弾いたら、妻であるアリス夫人が気に入ったため、もう一度弾くように頼んだそうだ。
そして、エルガーは妻を喜ばせようと、その主題を色々にアレンジして、彼らの共通の友人たちの雰囲気を表現した。これがエニグマ変奏曲が生まれた瞬間である。ということで、管弦楽版のほかにピアノ版もある。
さて、エニグマとある通り、この曲にはエルガー曰く2つの謎が存在する。その謎はエルガーマニアでもないとわからない上に、もうほぼ解かれているため、謎解きを楽しむというのはちょっと厳しい。
1つ目は、「この変奏曲は、主題とは別の、作品中に現われない謎の主題も使われている」というエルガーの発言で、2つ目は各変奏に付けられた副題の示すものである。
1つ目の謎解きは、おそらく英国愛国歌「ルール・ブリタニア」の“never, never, never”の部分と主題のメロディーが一致しているということで、2つ目の謎解きは、先に言ったように、各変奏は友人たちの肖像を示しているということだ。
演奏時間は30分ほど。第9変奏「ニムロッド」は、その美しさからアンコールピースとしても名高い。

「作曲家はどうやって音楽を作っているのか」という、これもひとつの謎だが、それを身近な形で、かつ興味深く我々に提示してくれる音楽でもある。ひとつ明らかになったことは、天性が生むメロディーと、人物像・性格の表現という手法だ。
なんだか躊躇いがちにゆっくりとした動きを見せる主題は、一度聴いたら忘れないだろう。そして第1変奏は愛妻キャロライン・アリス・エルガー。この主題が巧みなテクスチャによって彩られ、情感豊かに繰り返される。
そこからは、彼の愛しき友人たちが表現される。友人たちの性格だけでなく、声や演奏する楽器、さらにはペットまで、実に面白い。ひとつひとつ解説を読みながら聴くことをオススメする。エルガーの描写の上手さがわかるだろう。
特に、その抜群の美しさを持つ第9変奏ニムロッド。ニムロッドとは、エルガーの親友アウグスト・イェーガーの愛称で、ベートーヴェンに関する議論をしながら、イェーガーがエルガーの音楽活動を激励した一夜を描いている。ベートーヴェンだから第9なのか、これは僕の推測でしかないが、芸術について親友と熱く語った夜というのは、かくも音楽に美を与えるのか。
そして最後の第14変奏はエルガー自身。いささか騒々しいが、それも終曲らしく、愛妻とニムロッドの面影も見える。まるでエルガーの音楽は彼らの支えによって成り立っているとでも言わんばかりだ。
こうして見ると、やはり音楽というのは、愛なしには生まれないのだろう。言い過ぎかもしれないが、“素晴らしい”音楽は、としておこうか。愛にしたって、様々な形があり、一見ないように見えて、実は見えないところに存在しているということもある。愛とは何かと言われると、わからないとしか言えないのだが。
主題が生まれたのは、エルガーの天性によるものかもしれないが、それがこうして後世に残るひとつの芸術作品となるには、妻への愛なくしてはありえなかっただろう。
また、エルガーの音楽を支えるもの、愛すべき友人たちであり、彼らとともに過ごした時間、一緒に演奏した音楽、ともに語らった音楽への愛。
そして、隠された主題――エルガーの愛国心もまた、この作品から感じられる英国らしさに、すべて詰まっていると言えるだろう。
天性、音楽的技法、それらを活かして本物の音楽を生むのは「愛」だということを、この曲を聴いて感じていただきたい。

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| エルガー | 20:43 | comments:0 | trackbacks:1 | TOP↑

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エルガー チェロ協奏曲:晩秋・初冬の協奏曲

エルガー:チェロ協奏曲エルガー:チェロ協奏曲
(2008/09/26)
デュ・プレ(ジャクリーヌ)

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エルガー チェロ協奏曲 ホ短調 作品85

秋も深まって寒さを感じるような季節になったとき、つい聴きたくなってしまう曲のひとつに、エルガーのチェロ協奏曲がある。
少々重苦しいくらいのチェロでちょうど良い。じっくりと音に浸るのが心地よい季節に聴くのが良いように思う。
1919年、エルガー62歳の作品で、円熟したエルガーの音楽の魅力がたっぷり詰まっている、人気の高い名曲である。
1911年の作である交響曲第2番が振るわなかったこと、また第一次世界大戦の影響もあり、愛国的な楽曲を生みだすことに尽力していたエルガーが、真の意味で高度に芸術音楽的な作品として成功を収めたのが、このチェロ協奏曲であった。

秋と言っても鮮やかな色を想像するようなものでは決してない。しかし、地味な色だがその色艶は尋常ではない程の美しさを見せる。
チェロの独奏から始まる1楽章、その冒頭のカデンツァが、晩秋・初冬の空気と相まって、身体を震わせる。
エルガーらしさと言っても過言ではない“Nobilmente”を十分に感じ、張り詰めた空気の振動と少し悲哀さえ感じる高貴さを体感すれば、音楽とはこうも深いものかと思い知る。
2楽章、ペルペトゥーム・モビーレ(無窮動)には、一体何を急いでいるのかと尋ねたくなるような、物悲しい様子がうかがえる。音楽はは時折立ち止まるが、それが一層効果的だ。
哀愁を帯びた旋律が堪能できる3楽章をこの曲の白眉に推薦するファンも多いだろう。チェロは絶えず歌い続けるが、決して出過ぎた真似はしない。静かに佇んで、それでいて凛とした存在感を示す。
4楽章もそうだ。この曲は爆発がない芸術なのだ。特に最後のチェロ独奏が再現される部分は、重厚であり激しい情感もあり、さらにオケの慟哭も勿論あるが、非常な感動を湛えつつも、ある特有の空気感が保持され続けている。これを芸術と呼ばずにどうしようというのだ!
聴き終えて、「人生の晩秋」という言葉がふと過る。さもありなん。
それにしても、どこまでも英国らしい音楽である。
ドヴォルザークやシューマンのチェロ協奏曲と並び、チェロ協奏曲の名曲として数えられるが、それらだって深みのある曲である。しかしエルガーのものは深さの角度が違う。別次元の深みに到達している。
渋い、本当に渋い。それは英国の空気であり、そこが素晴らしい。

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| エルガー | 17:37 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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エルガー 子どもの魔法の杖 第1組曲、第2組曲:幸福のノスタルジー

Elgar: The Wand of Youth; Nursery SuiteElgar: The Wand of Youth; Nursery Suite
(2004/04/20)
Edward Elgar、

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エルガー 子どもの魔法の杖 第1組曲、第2組曲 作品1a、1b

もともとの題材は、エルガーが子どもの頃、兄弟・姉妹たちと一緒に、両親のために演じた劇用に作曲した音楽である。
エルガーは50歳のとき、その幼少の頃の作品に再び目を向け、管弦楽組曲に編曲した。
劇の内容は、子供から魔法の杖をもらった二人の大人(両親)が、妖精の国で遊ぶ、という実にかわいらいしいものだ。
第1組曲は「序曲」「セレナード」「メヌエット」「太陽の踊り」「妖精の笛吹き」「まどろみの情景」「妖精と巨人」
第2組曲は「行進曲」「小さい鐘」「蛾と蝶」「泉の踊り」「飼い馴らした熊」「野生の熊」
で構成されている。
第2組曲の「野生の熊」は、素早い弦の動きと流暢な旋律が演奏効果抜群で、アンコールピースとして愛奏されているが、他の曲はあまり演奏機会に恵まれない。
だがこの作品は、エルガーが子供時代の感性と、晩年のエルガーの卓越した音楽語法とが、非常に心地よい融合を見せた、隠れた名曲でもある。

成熟したエルガーの音楽性が光る「序曲」で幕を開けると、「セレナード」では弦楽とハープに導かれ、かわいらしいクラリネットの旋律が妖精の国へと手招きする。
いかにも古風な「メヌエット」で大人が登場すると、元気いっぱいな「太陽の踊り」、うって変ってゆっくりと美しい「妖精の笛吹き」が「まどろみの情景」を誘う。
「妖精と巨人」では、動き回る低音群の巨人と高音群の妖精の対比と融合が面白い。
「行進曲」は短調で厳粛な雰囲気を持ち、エルガーの高貴な楽風を感じる。どうやら劇は終わるようである。
だがノスタルジーは続き、目まぐるしく動く木管に、グロッケンシュピールとチャイムが活躍する「小さい鐘」、これもエルガーらしい優しくて品格ある趣きの「蛾と蝶」、ヴァイオリンの分奏旋律が魅力的な「泉の踊り」。
古典的舞曲のような「飼い馴らされた熊」、それと対照的な「野生の熊」で、華麗にクライマックス。

現実の生活に疲れたときは、妖精の国へ遊びに赴いてはいかがだろうか。
ノスタルジックで優しい音楽に浸るのは、すさんだ心を癒してくれること間違いない。

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| エルガー | 16:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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エルガー 交響曲第1番:これだ!

エルガー:交響曲第1番&第2番エルガー:交響曲第1番&第2番
(1996/08/25)
プレヴィン

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エルガー 交響曲第1番 変イ長調 作品55

表題音楽の多いエルガーだが、この交響曲はそうではない。
芸術の一種の極みとも言うべき絶対音楽である。
ブラームスと同じように、彼がいかに「交響曲」というものを重く捉えていたかがわかる。
エルガーというと「威風堂々」や「愛の挨拶」など、抜群に心に響く旋律が印象的だが、やはりこの曲でも「旋律」の美しさは他の追随を許さない。
冒頭の主題の高貴さ、神々しさ、そして優しさは、エルガー自身をも感動させるものであった。
実際この主題を思いついたとき、彼は「これだ!」というコメントと楽譜をアッピア街道の絵はがきに記し、友人に送っている。
この主題が全楽章に現れるのだが、くどいどころか逆にうっとりしてしまう。まあそれは僕がエルガー大好きだからかもしれないが。
しかしこの主題の虜になってしまうと、どんな技法で再現されようとそれはもうどうでもよく、ただただ身を委ねたくなるような、そんな旋律である。

1楽章の冒頭の旋律があらゆるベースとなって構成されている曲だが、ミクロな解釈は置いておくことにする。
もちろん、彼の豊富なアイディアは素晴らしいのだが(特に2楽章)、技法ではなく旋律について考えてみたい。
この絶対音楽において、旋律というのはどれほど大事なものか。
良い旋律・美しい旋律が良い芸術を為すかといえば、それは疑問である。
モーツァルトのように天才的な旋律がポンポン出るような人はいない。(故に民族音楽や教会旋律がモチーフになるのだ)
むしろ絶対音楽に求められるのは、構成上の究極なバランスではないか。
万人の心をつかむような旋律は簡単に生まれないし、そうだからこそ作曲家としての技量・芸術家としての技術が問われる訳である。
それでもエルガーは旋律にとことんこだわっている。
エルガーが、自分の心を満たすような、自分の中に流れる伝統ある英国人の血を感じるような旋律を見つけるまで。
表題音楽にしろ絶対音楽にしろ、彼の音楽を決定づけるものは、彼の意にぴったりと当てはまる旋律なのではないか。
どうもエルガーらしさというのはそこにあるように思えてならない。

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| エルガー | 22:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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