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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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ドビュッシー 小組曲:小さくて可愛らしい音楽

ドビュッシー:小組曲ドビュッシー:小組曲
(2008/03/26)
コラール(ジャン=フィリップ) ベロフ(ミシェル)

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ドビュッシー 小組曲

今年はドビュッシー生誕150年という記念すべき年なので、連続でドビュッシーの曲を取り上げよう。
「小組曲」という、人気も高いこの作品は、僕がドビュッシー好きになったきっかけ「かもしれない」曲だ。
「かもしれない」というのは、何がきっかけでドビュッシーを好きになっていったのかわからないからというのと、もう一つ、この曲は僕が小さい頃、母が知人と弾くために練習していて、家でよく耳にしていた曲だからだ。
自然と何度も聞いた曲はやはり残るものだ。この曲のもともとの親しみやすさも伴い、僕にとっては非常に近しい曲である。
先にも書いたが、ピアノ連弾のための作品で、ビュッセルによる管弦楽編曲も評判が良い。ピアノよりもこの管弦楽版が好きだという人も多いだろう。
先に紹介した交響詩「海」は、印象派音楽の最たるものだったが、この曲はそういう印象派独特の雰囲気とは離れた、メロディーのしっかり聞き取れる音楽。それがまた、可愛らしくて聞きやすくて、本当に美しい名曲なのだ。
前半2曲はポール・ヴェルレーヌの詩集「艶やかなる宴」から題名を取っており、後半2曲はルイ14世の時代へと思いを馳せているものだ。
ドビュッシーの研究者フランク・ドーズは、小組曲について、これに先立って作られた、同じくヴェルレーヌの詩を基に作曲した歌曲「忘れられたアリエッタ」と対照的であること、ビュッセルの管弦楽編曲によって、アラベスクよりもポピュラーな曲になったということを指摘している。
小舟にて(En Bateau)、行列(Cortège)、メヌエット(Menuet)、バレエ(Ballet)の4曲からなる組曲。10分強くらいの長さで、どれも短いが、珠玉の名曲とはこのことだ。

ポール・ヴェルレーヌの詩集「艶やかなる宴」から題名を取った第1曲「小舟にて」は、組曲中もっとも有名な曲だ。よくBGMなどにも用いられ、聴いたことがある人も多いだろう。
これより少し前に作曲された、フォーレの組曲「ドリー」の第1曲によく似た構造をしている。気になる方はぜひそちらも聴いてみて欲しい。ドビュッシーが影響を受けたであろうことは明らかだ。
第2曲の「行列」は、組曲中で僕の最も好きな曲。
「管弦楽のための映像」のイベリア第3曲「祭の日の朝」を思わせるような、祝祭的なムードとその中を進むマーチングバンドの音。遊ぶ子供らの行進。これが一体何の行進を表しているかはよくわからないけれども、いずれにせよ幸福感があるのだ。
後半の2曲でルイ14世の時代へと思いを馳せることとなったのは、ヴェルレーヌの詩の内容と関わっている。詳しく知りたい方はぜひ原典に当たってほしい。
第3曲の「メヌエット」、これはやや古風な趣きだが、ドビュッシーらしい繊細で可愛らしい音楽に仕上がっている。一度聴いたら忘れられないテーマの旋律に注目したい。
そして第4曲の「バレエ」、エネルギッシュな舞曲で、管弦楽的な(という喩えはオケ版では通用しないが)広がりを持つ音楽。ルイ14世の時代に、劇場で流行っていた音楽が基になっているという。
20代のドビュッシーが、まだ印象主義に走る前の音楽であり、またヴェルレーヌの影響、フォーレの影響など、先達である芸術家たちから受け取ったものを基に生み出した音楽でもある。
僕は今こうして各々の曲の解説を書いているけれども、もともと物心がつく前に聴いていて、惹かれた曲たちである。こうした解説など、本当は(それこそ僕にとって)無駄なのだ。
それだけ美しく、心を捉える音楽である。「小さくて可愛らしい」という形容は、この組曲のためにあると言っても良い。
一般に印象派の音楽は子どもには難しいかもしれないが、この曲なら当時子どもだった僕にもわかりやすかったのだろう。ぜひ、心を無にして聴いて、ドビュッシーの可愛らしい音楽の魅力にひたっていただきたい。

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| ドビュッシー | 22:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドビュッシー 海―管弦楽のための3つの交響的素描:時間芸術の粋

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩<海>、イベリアドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩<海>、イベリア
(2011/05/11)
ブーレーズ(ピエール)

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ドビュッシー 海―管弦楽のための3つの交響的素描

ドビュッシーの管弦楽曲の中で、また印象派音楽の中でも、これほど“代表的”と言える作品はほかにないと言えるほど、評価の高い作品である「海」。交響詩「海」とも呼ばれ、海の情景を描いた管弦楽曲だ。
僕もこのブログのプロフィールの欄で、好きな音楽に「ドビュッシーのピアノ曲」と挙げているように、ドビュッシーはピアノ作品が非常に魅力的で、ピアノ作品は聴くけど他はよく知らないという人が意外と多い。また、ドビュッシーのピアノ曲は可憐な美しさが特徴の曲が多いのだが、管弦楽曲となると、あまり小さくて可愛らしい雰囲気は見られない。ピアノから入った人は、ドビュッシーのピアノ以外の作品に面食らうことがままあるのだ。
しかし、ピアノ曲である前奏曲集にも、管弦楽曲と雰囲気の近い作品もあるし、やはりドビュッシー好きなら、何度も聴くうちに管弦楽曲もきっと好きになるはずだ。
一見とっつきにくい音楽かもしれない。明確なメロディーはない。1905年の初演の際は、あまり評判は芳しくなかったようだ。
だが、この作品の良さがきちんと評価され、現代では印象派を代表する音楽になっているのだから、さすがドビュッシーである。
海がテーマの音楽は多くあるが、海の情景描写としては、表情の繊細さ、多様さ、そして音楽として人の魂を揺さぶる何かの存在、そういったものを鑑みるに、これ以上に完成度の高い音楽はほかにないかもしれない。
3つの交響的素描とあり、「海の夜明けから真昼まで」、「波の戯れ」、「風と海との対話」の3つの部分からなる。演奏時間は20分強。
ハープやグロッケンシュピール、トライアングルなどの音色が特徴的に用いられ、光を描いた、まさしく絵画的作品である。
なにより、絵画的でありながら、この曲は絵画と対照をなす、いわゆる「時間芸術」の一極地でもあることが、名曲たる所以だと僕は思う。

レスピーギの「ローマの噴水」もそうだが、これも時間経過が描かれている作品。
「時間芸術」と「空間芸術」の定義を明確にしたのは『ラオコオン』の著者であるドイツのレッシングという美学者だが、彼によると行為を対象にしてその時間経過を表現する「時間芸術」(文学や音楽など)は、物体を対象にしてその決定的瞬間を表現する「空間芸術」(絵画や彫刻など)と区別されるという。
音楽は一度演奏すると止められないという意味でも、非常に時間と関わりの大きい芸術であることは、多くの人が感じるところであろう。これはまた文学とも違うものだ。
リアルタイムで動く時間の中で、芸術はさらに時間の経過を表現する。クラシックにはこういうものが多くあるが、二重の意味で時間的な芸術である。
まず「海の夜明けから真昼まで」、自然界に夜明けの瞬間があるのか僕にはよくわからないが、海の時間経過に着目して聴いて欲しい。ここでは全ての音に意図・意味があるのだ。
「波の戯れ」も、海の美しい表情のひとつ。これは絵画的な面が強いとも言える。今度は海という空間が生み出す美しい景色に目を奪われることになる。
そして「風と海との対話」。対話(Dialogue)とあるように、これは性格的・人格的な音楽でもあるのだ。ここが、単なる描写で終わらない、最高峰の作曲家の才能である。風によって動く海、波が起こす空気のざわめき、徐々に「波風が立っていく」クライマックスは、本当に心を動かすものだ。
最後に、ドビュッシーの名言「音楽の本質は形式にあるのではなく、色とリズムを持った時間にある」という言葉を紹介しておこう。
「空間芸術」以上に、空間を捉えて見事に表現できている。すごいとしか言いようがない。これは時間芸術の限界を越えた、ドビュッシー音楽の真骨頂だ。
20世紀音楽を代表する作品と讃えられるのも当然だと言えよう。

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| ドビュッシー | 21:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドビュッシー ベルガマスク組曲:ロマンティストは月の光がお好き

ドビュッシー:ピアノ曲集ドビュッシー:ピアノ曲集
(2003/10/22)
ロジェ(パスカル)

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ドビュッシー ベルガマスク組曲

「月の光」で有名なこの組曲は、ドビュッシーのピアノ曲の中でも人気の高い作品で、ピアノの演奏会はもちろん、様々にアレンジされて演奏されている。
1890年、ドビュッシーの作品としては初期の方に当たり、まだまだドビュッシーのオリジナリティという点では後期の作品群と比べるとやや劣るが、印象派らしさはうかがえる。
「前奏曲」、「メヌエット」、「月の光」、「パスピエ」の4曲からなり、あの有名な「喜びの島」も加わる予定だったが、大人の都合で入らなかったようだ。
和音の趣きの変化とフレージングが愛おしい「前奏曲」、この曲も大好きな曲で、初めて聴いたのはきっとまだ幼いころ、ピアノ教室をやっている我が家のピアノ部屋から聴こえた音。低音から始まる印象的なこのイントロの1小節は、心の奥深くに刻まれ、自分をドビュッシー好きにさせた1つの原因ではないかとも思う。
「メヌエット」は弦楽を思わせる。レガートとスタッカートの差が小さく心躍らせる。まるでピッツィカートのような可愛らしい音と、ピアノならではの美しさを持つグリッサンドで終わる最後は実に可憐だ。
何も言うことが出来ないのは「月の光」で、この曲を愛してやまないし、様々なアレンジも全て美しいと思える。それだけに、この音楽は「音色」が勝負なのだ。どんな楽器にしても、この曲における「音色」はまさしく「光」そのものに違いない。ヴェレーヌという詩人の詩に影響された曲で、『穏やかに降り注ぐ悲しく美しい月光は、木々の鳥たち、そして恍惚のうちにすすり泣く泉へ夢をもたらす(Au calme clair de lune triste et beau, qui fait rêver les oiseaux dans les aubres, et sangloter d'extase les jets d'eau)』(拙訳)という一節をイメージしている。
組曲を通して弾いたとき、このブルターニュの舞曲「パスピエ」で最後ということになる。「月の光」をはじめ、組曲から抜粋されて演奏されることも多いのだが、もしこの曲で終わることに愛らしさを感じることが出来るなら、きっと「抒情的散文」や「3つの夜想曲」、「艶なる宴」、「忘れられたアリエッタ」などが愛しくてしょうがなくなるであろうが、とにかくドビュッシーの音楽の楽しみ方を発見出来ているということだろう。

綺麗な月が出ていると、ついこの曲を想起してしまう。美しい。月の光は何をか照らさん。
F,C,の音にGmの和音が重なり、プレリュード、夜が幕を開ける。
そんな夜なら、そんな夜に夢を与える月の光があったら、貴女は誰と踊るだろうか。何を踊るだろうか。エクスタシー湧き上がる泉に、何が映っているのだろうか。
「今夜は月がきれいですね」などと言って美人に声をかけるのも悪くないが、黙ってピアノの蓋をあけて、同じ月の光に照らされているであろうあの人を思いながら、ふと鍵盤を押さえてみる、そんな夜もちょっとロマンティックで、素敵だ。

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| ドビュッシー | 03:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲:微睡みの中の幻を

海~ドビュッシー:管弦楽曲集海~ドビュッシー:管弦楽曲集
(2003/06/25)
デュトワ(シャルル)

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ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲

フランス象徴派を代表する詩人ステファヌ・マラルメの同名の詩、詩の世界では『半獣神の午後』と呼ばれるが、その詩を基にドビュッシーが作曲した管弦楽曲。
詩を忠実に描写するよりは、マラルメの詩の背景となり、言葉の持つ響き、ニュアンス、輝きを音楽にした、という方が正しい。
ドビュッシーが印象派音楽に着手しだした頃の作品であり、かの指揮者・作曲家のブーレーズは「『牧神』のフルート、『雲』のイングリッシュ・ホルン以来、音楽の息づかいが変わった」と述べている。
フルートの(それも音程の取りづらいところの)半音階によるソロから始まるこの曲は、その微妙な調子を絶やすことなく、聴く者を混沌と心地よい夢に誘う、ドビュッシーの管弦楽作品中、一、二を争う名曲に思う。

半獣神の牧神が、真夏の昼下がり、夢と現実の狭間で笛を吹き、水浴びしていたニンフ(妖精)たちと遊ぶ。
彼女らを追い、腕の中に抱え、牧神は様々な夢と欲望を巡らせているうち、ニンフは消え、牧神は再びまどろみ始める、という内容である。
ドビュッシーは、かなり自由に、しかし詩の持つ雰囲気をそっくり残して、マラルメの世界を音楽にしている。
はっきりしない旋律に途切れるリズム、不協和と協和を行き来するハーモニー。実に物憂い。
僕がこの曲を好きな理由は、気怠く、物憂い音楽の中に、ドビュッシーの作品のどれにも勝るような、官能的な、恍惚とした気分を与えるものを携えているからである。
それを作っているものは、もちろん「印象派」が「印象派」である由縁のところのもの、それも1つである。
だが、不協和であったり、消えたり現れたりする旋律ではあるが、そこには「印象派」という自由な意味の音楽の枠を越える、ドビュッシーの精緻な音楽構成が見える。
動機と動機の、主題と主題の、機微にして綿密な連絡が作り上げる感情の起伏と全体の調和こそ、ドビュッシーの芸術の極みなのではないだろうか。
とはいえ、もちろん、そんな細かいことを気にして聴くわけではない。
この曲が奏でる、ドビュッシーの管弦楽ならではの楽器群の響きは、有無を言わさぬ美しさがある。
特に終盤、サンバル・アンティークの輝く音の結晶、牧神のフルート、ハープ、ピチカート、もう何も言うことはない。
全身を音楽に委ね、牧神の見る夢に心を重ね、快楽と欲望を光の中の戯れに解放するのが、最高の聴き方だろう。

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| ドビュッシー | 07:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドビュッシー 子供の領分:父のやさしい詫言

ドビュッシー:ピアノ名曲集ドビュッシー:ピアノ名曲集
(2002/09/25)
ワイセンベルク(アレクシス)

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ドビュッシー 子供の領分

子供のために書かれた作品ではなく、あくまで子供の心情や情景を描いた、ドビュッシーの後期の作品。
「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」「象の子守歌」「人形へのセレナード」
「雪は踊っている」「小さな羊飼い」「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」の6曲からなる。
ドビュッシーによって長年考え尽くされたあらゆる技法が組み合わさり、絶妙な融合美が生まれている。
僕のお気に入りは「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」と「雪は踊っている」である。
前者はピアノ練習中の子どもの気持ちや様子を描いた曲。
ちょっと退屈で、ふざけたくて、やっと終わってあーくたびれた!という感じが非常にわかる曲である。
後者については、まったくこの曲といい、交響詩「海」、「雨の庭」、「野を渡る風」といい、ドビュッシーの自然描写には驚嘆せざるをえない。

印象派らしい絵画的な音楽としても、この曲集は完全な美しさを備えているのだが、ここで取り上げるべきは「父」としてのドビュッシーであろう。
最愛の娘シュシュ(シュシュは愛称、当時3才)に贈られたこの曲集は、子供の目、子供のこころを通した様々なものが表現されている。
ドビュッシーの、父として子どもに際限なく贈る愛が、この曲集からはあふれ出ている。
父としてのドビュッシー、その愛の表現とは。
まるで子ども心を取り戻したようなドビュッシーが見た、フェルト製の象、忘れられた人形、真新しい羊飼い人形、不思議な動きの操り人形…
雪は降り止まない。いつもと違う白い世界、花は隠れ、お日様はどこへ?

印象派最大の芸術家であり、溺愛する娘の前では一人の「父」である。
そんな温かさを持った曲集だ。そして以下の言葉が添えられている。

「あとにつづく者への
 父の優しい詫言をそえて
 私の可愛いシュシュへ」
  クロード・ドビュッシー

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| ドビュッシー | 14:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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