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珠玉の名曲たち、クラシック音楽を楽しむブログ。クラシック音楽の楽曲をテーマに、短いエッセーを書いています。

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ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」:傑作の森の可憐な花

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番&第7番ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番&第7番
(2006/07/26)
パールマン(イツァーク)

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ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調 作品70-1「幽霊」

ベートーヴェンのピアノ三重奏曲で有名なものは、今回紹介する「幽霊」と、「大公トリオ」として知られる第7番であるが、ポピュラーでないものを数えると相当数あり、しかも、彼の作曲人生の初期から後期まで通じて、かなり幅広い時期に作曲している。
この第5番「幽霊」は1808年に作曲された。ちょうどこの時期というのは、ロマン・ロランをして「傑作の森」と呼ばしめた、1803年からの10年ほどの期間に該当する。パスクァラティ・ハウスというウィーンの邸宅で多くの時間を過ごし、沢山の人物から作曲を依頼され、作曲家として生きる決意も生まれたこの時期は、ベートーヴェン中期の名曲が数多く生まれた時期だ。
たとえば、「幽霊」作曲の前年には、「コリオラン」、「運命」、「田園」などの大作が手がけられ、また「幽霊」完成と同年の1808年には「皇帝」も手がけられた。こうした大規模な作品に押されて、ベートーヴェンはなかなか室内楽にまで手を回せなかったという。
大作の名曲に挟まれた時期に、この珠玉のトリオが生まれた背景はというと、ベートーヴェンが当時懇意にしてもらっていたエルデーディ伯爵夫人からの強い希望があったことである。引越し魔であるベートーヴェンは、ちょうどエルデーディ伯爵夫人の邸宅でも過ごしており、彼女が尽力したおかげでルドルフ大公、ロプコヴィッツ候、キンスキー候から年金を受けられるようになったのだ。
そんな経緯で作曲されたトリオなので、まったくもって「幽霊」のような、おどろおどろしいものではない。ニ長調の爽やかな音楽だ。
ではなぜ「幽霊」という愛称が付いたかというと、もちろんこれはベートーヴェン自身によるものではなく、誰が最初に呼んだかは不明だが、2楽章の入りが、まるで「幽霊」が現れるときのごとく、不気味な雰囲気に聞こえるからだという。
そう言われたらそうだが、気にしないとまったく「幽霊」感はない。その辺りは、気にしつつ演奏するトリオは、敢えて恐ろしい雰囲気を醸し出そうとするし、そうでないトリオは別に怖くはなく、解釈の違いも楽しめる。

3楽章構成で、演奏時間は25分ほど。
1楽章、冒頭のユニゾンによる溌剌とした主題が印象的だが、その主題の最後のF音がまた一段と印象深い。この音を出すところが、革新の男ベートーヴェンらしさである。
スタイルは全体的に古典的で、1楽章と3楽章はソナタ形式。古典的な様式の中に革新性を見て取ることができるのが、ベートーヴェン中期作品の面白みだ。
問題の2楽章ラルゴは、確かに物悲しい雰囲気がある。テンポはゆっくりだが、ピアノの64分音符が続く幻想的な音の並びが特徴的。また悲歌的ではあるが、所々激しく情熱的でもあり、幽霊とは程遠い人間の血の通った熱さを感じる。ヴァイオリンとチェロが揃って同じメロディーを奏でるところなどは特にそうだ。基本的には熱い音楽と言える。
その2楽章の雰囲気を瞬時に変える、3楽章プレストのピアノの主題。この主題もまた、最後のC♯が絶妙な風合いを生む。こういう仕掛けは3楽章中の別の主題にも配置され、この曲が単なる古典派音楽とは一味違う魅力を持つための隠し味となっている。
旋律の持つリズムが良い。先日聴いた演奏会で、広島交響楽団の主席チェリスト、マーティン・スタンツェライトさんが、「幽霊」の舞曲性や、田園との関連からドイツ、オーストリアの田舎の民族音楽風であることを語っていた。なるほど確かにそうかもしれない。
まさに、大作に囲まれた傑作の森で、可憐に咲く一輪の花のようだ。現実をはなれた、田舎での楽しい余暇のような風景が似合う名曲だろう。

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| ベートーヴェン | 21:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ミュラー 「アイガー」交響的スケッチ:新・アルペンシンフォニー

F_Mueller.jpg


ミュラー 「アイガー」交響的スケッチ

現代の作曲家もたまには紹介しよう。それこそ、知られざる現代音楽作曲家は星の数ほどいるが、特にまだ現役で活躍している作曲家については、かなり的を絞って紹介しないといけないと思っている。
ではどういう基準で選ぶかというと、一言で言えばちょっと保守的で僕のお気に入りかどうかなのだが、もう少し具体的に言えば「伝統的な手法に対するアンチ・テーゼとしての音楽ではなく、西洋音楽の伝統を意識した音楽であること」となるのだろうか。
マルセル・デュシャンやジョン・ケージのような現代芸術が(彼らももはや現代芸術と呼ぶのも苦しい古典となったが)、今までの芸術でなかったものを新しく芸術として領域を広げた。
僕はそうして芸術の領域を広げることそのものがおかしいとは思わないが、広げること自体に面白可笑しく目を向けているような音楽や、どうしてもそこに真の美が見い出せないようなものは、僕もベートーヴェンやモーツァルトと並べて紹介するのはちょっと心苦しい。
そこで、今回取り上げる、1964年に生まれたスイスの作曲家ファビアン・ミュラーは語る。「私たちの世代は、前衛も既にやり尽くされたと思っています。やはりヴァイオリンは美しい旋律を奏でるために存在しているのです」なんといい言葉だろう。こういう現代の作曲家も沢山いるので、まだまだ将来に希望をもって良いのだと思う。
ミュラーはチューリッヒのコンセルヴァトワールで学び、今ではスイスを代表する作曲家として活動している。管弦楽から室内楽、合唱、舞台音楽まで幅広く手がける作曲家だ。
今回紹介する作品の名前にある「アイガー」とは、ミュラーの故郷スイスを代表する山であり、ユングフラウ、メンヒと並び、オーバーランド三山の一つ。登るのが困難なことで知られ、多くの死者が出ている。
ミュラーは少年時代に、アイガーの麓グリンデルヴァルトで休暇を過ごした。そのときの印象が影響している作品である。
ちょうどリヒャルト・シュトラウスが、少年時代にドイツ・アルプスのツークシュピッツェを登山したときの体験がもとになって、アルプス交響曲を作曲した経緯と同じだ。
日本で言えば、富士山が多くの画家に創造力沸かせるように、アルプスは多くの音楽家にクリエイティビティを持たせるのだろう。

印象的なヴィブラフォンの音から始まる。RVWの南極交響曲なんかでもそうだが、氷河にはやはり鍵盤打楽器が相応しい。するとすぐに、一瞬だけ美しいアイガーの全景が見えるようだ。強さと恐ろしさを含んだ姿の、凛々しい美しさ。しかし、それもほんのひとときだけ。
ピッケルで氷壁を打つ音や、喘ぐような鳥の鳴き声のような音も聞こえる。天候も、霧や吹雪など、想像を掻き立てるような明確な変化が見られる。こうしたわかりやすい音楽描写を聞き取る楽しみはアルプス交響曲と共通している。
この曲で強調されているのは、人間に、悲劇的で絶望的な強大さを感じさせる存在であろう。力強い弦楽器の旋律を聞くと、これがアイガーのノースフェイスの有様なのか、とちょっと戦慄が走る。
渦巻く弦楽器と、咆哮する金管楽器、そこにすっと浮き出てくる木管楽器と打楽器、全体的に厚みがあるが、巧みなオーケストレーションである。
曲の終わりも意味深である。終盤には何か明るい景色のようなものが見えたような気がするが、最後の最後には不気味に風が吹き荒び、音楽の終わりが何か別のひとつのものの終わりを象徴しているかのようだ。
ミュラー自身はこの曲に対する回想として、次のように述べている。「私があまたの音符を紙に書いている幾年月もの間、私を見下ろしていたのはアイガーそれ自体だろうか? また、この高嶺を音楽に持ち込もうという試みを冒すことは単なる魅惑なのだろうか? もしかするとそれもまた、ノースフェイス(北壁)の歴史――幸福と悲劇が余りにも近く結びついている世界の歴史について読み解くことなのかもしれない」
なるほど、最高峰の山の登山とは、幸福と悲劇が表裏一体、むしろ辛く苦しく恐ろしい時間が大半を占め、そんな中で一瞬だけ、登らなかった者には決して体験することのできない幸福が訪れるのだろう。15分ほどの長さの中でアルプスの真髄を巧みに描く、新しいアルペンシンフォニーだ。

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| ミュラー | 20:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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外山雄三、三枝成章、石井眞木、芥川也寸志 交響組曲「東京」:和と混沌

交響組曲「東京」&團伊玖磨:三つのノヴェレッテ交響組曲「東京」&團伊玖磨:三つのノヴェレッテ
(2012/10/03)
外山雄三、 他

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外山雄三、三枝成章、石井眞木、芥川也寸志 交響組曲「東京」

ちょうど2年ほど前、このブログで外山雄三の「京都幻想」という作品を紹介した。京都市交響楽団のために、外山雄三の他に、間宮芳生、三善晃、團伊玖磨、林光、新実徳英、細川俊夫らが作品を寄せたプロジェクトによる作品で、いわばご当地クラシックである。
僕も京都という街にそれなりに思い入れはあるが、せっかく東京に住んでいることだし、東京のご当地作品も紹介したい。
交響組曲「東京」は、FM東京開局15周年記念委嘱作品で、外山雄三、三枝成章、石井真木、芥川也寸志の四氏による、4曲の組曲。それぞれ順番に、東京の春夏秋冬を表現しようという話だったようだが、どうもその辺りは作曲者によって解釈はあやふやで、明確に季節を表しているものもあれば、そうでないものもある。
当時のFM東京代表取締役だった大野勝三氏は、世界の名だたる都市にはその都市の楽曲があるが、東京にはそれがないということの寂しさを感じていたとのこと。そこで、東京出身の、日本を代表する作曲家諸氏に、東京の楽曲を依頼したのだ。
第1曲が外山雄三作曲「こもりうた」、第2曲が三枝成彰作曲「Summer」、第3曲が石井眞木作曲「秋のヴァリアンテ」、第4曲が芥川也寸志作曲「アレグロ・オスティナート」。
もしこの四氏の音楽を聴いたことのある人だったら、それぞれの曲のそれぞれの人らしさに納得するだろう。そして、驚くほどにこの4曲の間に有機的な繋がりがないことに気づくはずだ。
だが、むしろそこが東京の特徴と言えるかもしれない。
東京の人の多くは、純粋に東京生まれの東京育ちという訳ではないだろうし、日本のどこよりも、様々な地方の人、様々な国の人が集まっている都市だろう。東京出身の四氏の個性が、特に融和もなく端然とそこに居るという佇まいは、この都市の様子そのものだ。1985年の作品だが、その点は普遍性を保っているように思われる。

外山作曲の第1曲は、彼が東京の春を思ったときに浮かんだ、水仙や沈丁花などの春めいた香り、山手線の窓から入ってくる新緑香る風、そして、そんな空気の中を過ごした子ども時代のノスタルジーから、「こもりうた」と設定された。
外山音楽ファンの期待を裏切らない、日本の心を感じる歌が、この曲でも高らかに歌われる。
三枝作曲の第2曲は、この組曲の中で最も異質な楽曲。チャイコフスキーとワーグナーに対する挑戦らしい。なるほど、チャイコフスキーの幻想曲とワーグナーの管弦楽法からの影響はすぐにわかる。ホットな音楽ではあるが、「Summer」なのに夏らしさは微妙なところ。さすがガンダムの三枝氏、思わず「エゴだよ!」と言いたくなるが、「この三枝をなめてもらってはこまる」。他の3人とは異なるジャンルも手がけるだけはある。
石井作曲の第3曲「秋のヴァリアンテ」は、僕が秋が好きだからという理由もあるが、これはなかなか深みのある楽曲だ。
西洋音楽史上の「秋」と思しき19世紀後半~20世紀初期の手法を用いた主題と、それを現代風に変容させるという試みは、現代の東京の街の在り方を思わせる。秋の美しさを湛えた主題は、主題そのものとして演奏されず、変奏の中に埋もれ、分断されて登場する。このあたりも、考え抜かれた音楽である。
そして僕も大好きな邦人作曲家芥川の担当した終曲「アレグロ・オスティナート」は、名前の通り、芥川得意のオスティナートが心地良い、和風モダンな音楽。
この曲の元ネタは、「エレクトーンGX-1とオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」の第3楽章であり、この協奏曲は演奏はされるものの録音はないようで、こうして交響組曲「東京」の録音が出ることは僥倖である。
東京の何かを描いているという訳ではなく、滝野川区(現・北区)に生まれ東京音楽学校で学び、さらには先祖は徳川に仕えていたということもあり、生粋の江戸っ子である芥川が、東京への愛をもって作った作品である。
四者四様の音楽が作り出す「東京」は、和の音楽が混沌として存在する、実に興味深い情景だ。

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| 外山雄三 | 23:08 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ホヴァネス 日本の木版画による幻想曲:隠れたジャポニズム

ホヴァネス:交響曲第1番「追放者」・第50番「セント・へレンズ山」/日本の木版画による幻想曲ホヴァネス:交響曲第1番「追放者」・第50番「セント・へレンズ山」/日本の木版画による幻想曲
(2012/08/22)
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ホヴァネス 日本の木版画による幻想曲 作品211

そろそろ日本をテーマにした作品や、邦人作曲家の曲を取り上げたくなった。先月伊福部を取り上げたばかりだが、僕はやはり日本に関するクラシック音楽というものが好きなのだ。
もちろん邦楽には邦楽の良さがあるが、「西洋音楽という手法による日本」も、不思議な魅力があるものだ。特に日本人リスナーの自分にとってはそうである。このブログでも、そういう音楽をたくさん取り上げて紹介したいと思っている。
アラン・ホヴァネスという作曲家は、20世紀に活躍した作曲家で、あまりポピュラーではないかもしれないが、アルメニア系とスコットランド系の両親のもとに生まれ、アメリカで活動し、ハワイ・インド・日本・中国・韓国など多くの地を訪れ音楽を学び、たくさんの音楽家が彼の音楽に魅了され、67曲もの交響曲を作ったという、本当に大活躍した作曲家なのである。この多国籍っぷりと多作っぷり。すごい人なのだ。
ストコフスキーは彼の音楽に惚れて作品を依頼し、交響曲第2番「神秘の山」を作曲しているし、コステラネッツもまた彼の音楽を評価する指揮者であり、ホヴァネスの名を世に送り出したのはコステラネッツのおかげとも言える。
この作品もコステラネッツの恩恵を受け世に出たものである。
日本の木版画というと、やはり浮世絵を思い描く。実際にホヴァネスは日本を訪れて北斎や広重からインスピレーションを受けたようだ。ピアノ作品には「広重の猫」と題するものもある。
日本の絵画からのインスピレーションに加え、日本の音楽を学んだことが、この作品には活かされている。ホヴァネスは1962年から1963年まで雅楽や長唄、浄瑠璃を学んでおり、その独特の和声やリズムを自身の作品に取り入れた。
ホヴァネスは日本人コロラトゥーラ・ソプラノ歌手藤原ひなこと結婚もしており、日本への思いも相当あるだろう。
今回取り上げた「日本の木版画による幻想曲」は、木版画で描かれた日本の情景を、マリンバと管弦楽という組み合わせで描いた協奏曲的作品。
ドビュッシーが浮世絵から影響を受けたというのは有名で、ブリヂストン美術館で企画展もあったが、ホヴァネスのこの曲も知ってほしいと思う。単一楽章で、15分ほどの長さ。日本人の耳にも馴染むし、聴きやすい作品だ。

本来はシロフォンと管弦楽という指定だが、マリンバの方が音色の幅もあり、またヴィルトゥオーソ的な協奏曲である傾向もあるので、マリンバ奏者のレパートリーとして演奏される作品となっている。
雅楽の要素を取り入れた弦楽の響きに、五音音階を用いたトレモロによるマリンバの旋律。神秘的な始まりだ。
マリンバがソロなのは当然だが、雅楽的な表現を追求した結果、他の管楽器もソリスティックになる。木管楽器のグリッサンドや、和風の旋律を吹くトランペットソロなどにも注目したい。
ポリリズムも程よく用いられ、奥行きを感じるテクスチャーである。さほど複雑ではなく、当時の日本の絵画の持つ平面的な雰囲気、その中にあるシンプルな奥行き、そういったものが上手く音楽になっている。
そして、音楽はいくつもの場面が次々と現れるという構成になっている。こうした構成は連作の木版画を思わせる。人の動き、時間や場所、天候の変化なども表現されているのだろう。
ワルツ風の部分もある。ここはどのような場面を描いているのだろうか。音楽的には、彼の故国であるアルメニアの音楽の影響が見られる。そういう郷愁のようなものを重ねていたのかもしれない。
要所要所にマリンバの技巧的なカデンツァが入る。高速のマリンバは聴きどころだ。
雅楽風の和音が幾重にも重なる部分は、ちょっと強烈で現代音楽らしい趣きもあるが、日本人にはどことなく親しみのある響き。
クライマックスには、少々おあつらえ向きかもしれないが、和太鼓のリズムを模したパーカッションの伴奏に、いかにも和風な旋律。これはこれで心地良い。音楽は終わりに向かって勢いを増していく。
マリンバ協奏曲というのもそう多くないが、伊福部昭や吉松隆、黛敏郎、武満徹、三善晃など邦人作曲家が案外手がけているということを鑑みると、もしかすると日本人にとってどこか寄り添いたく成るような音楽なのかもしれない。
初期の頃の作風をバーンスタインやコープランドに批判されてから、ホヴァネスはそのオリジナリティをアルメニアや東洋に模索したが、この曲はそのような幅広い音楽の地域性の知識が生んだ名曲だと言える。
海外の日本料理屋さんは微妙なものが多いが、海外の作曲家の作る日本風音楽というのは面白いものが多い。これもそのひとつだ。

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| ホヴァネス | 19:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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